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  • 寺西 祐介

「せんせいあのね」



たしか小学2年生の頃やったか、『あのね帳』(はてな帳やったかも)なる宿題があった。 どれくらいのペースでその宿題があったかは忘れたけど、週1回くらいやったけな。 その宿題は、「せんせいあのね」っていう書き出しから始まり、疑問に思うことや質問したいことを書いて提出し、先生からのメッセージ付きで返却される。


例えば、 生徒「せんせいあのね、どうしてちきゅうはあおいの?」 先生「それは、そらがあおいからですよ。」 っていう感じや。


今になって思うんやけど、「太陽光のうちの波長が短い、つまりは青い・・・」とか言ったところでっていうのもあるし、時間的な制約(クラスには30人以上生徒おったと思う)もあったかもやけど、「そらがあおいから」とだけ答えておけば、次に「どうしてそらはあおいの」っていう新たな質問が生まれることで、探究心も鍛えられるメリットもあったのかも。

この宿題にはあらかじめ、「なんかわからんことあったら先生に質問してや!」という前提のもとに成り立ってる。 宿題やから強制的ではあるけど、質問しなければいけない、ということはつまり、何かに疑問を抱くまで興味を持たなあかんってことや。

今思えばこの「あのね帳」によっておれの人生は大きく変わったんかもしらん。


普段は 「どうしてうみはしおあじなの?」 「どうしてぬいぐるみはやわらかいの?」 「どうしてよるはくらいの?」 っていう、1回の宿題につき1,2行くらいで終わるものやったけど、1回だけ3冊くらい書いた覚えがある。


「せんせいあのね、どうしてはじめはなにもなかったのに、 えんぴつとか、ノートとか、つくえとか、テーブルとか、・・・・・・・・・ れいぞうことか、くるまとか、いえとか・・・・・・・・・ みずとか、つちとか、くさとか、くうきとか、・・・・・・・・・・・・・・・ いぬとか、ねことか、とりとか、にんげんとか、・・・・・・・・・ せかいとか、ほしとか、うちゅうとか、じかんとかがあるの?」

もう何個書いたかわからん。 とにかく家の中、外、本、テレビから見聞きできる「モノ」をすべて書き、目に留まる「モノ」がどうして存在しているのか?にたどり着いた。

そして「自分は何も知らない」ということを知った。


たぶんそれからいろいろなことに興味を持ちだして、もともと持ち合わせていた欲張りな性格も後押しして、全部知りたい!って気持ちになった。 だから、世の中で「どうして」が一番いっぱい詰まってそうな『宇宙』に興味を持って、大学は物理学科を選び、宇宙の勉強をしてたんや。


なんでこの話をしてるかって言うと、友達と話しているときに寺西ってなんでどんな人の話でも興味を持って聞くことができるん?って聞かれた時に、この「あのね帳」がフラッシュバックしてきた。


答えは「質問する」こと。 人の話聞かされてる時に、「最後に必ず質問してくださいね!」とか言われたら聞く姿勢変わるでしょ?

コーチングで「傾聴(熱心に聞くこと)」は基本中の基本。 相手のことを一生懸命理解しようと聞くからこそ見えてくる現状と目標とのギャップや、相手自身も気が付いていない長所や課題点を発見することができる。


でもそれをそのまま伝えたら指摘されたと思うかもしらんし、人間って人に言われるよりも自分で考えてたどり着いた答えの方がしっくりくるねん。 だから、相手に答えを言うんじゃなくて、相手自身がそれに気づくことができる質問をしてあげなあかん。

他人への質問は、相手を攻撃するためのものではなく、お互いを理解し合うため、すりあわせるための手段になる。 そしてなにより、気づきを与えることができる。

自分への質問は、自分の持っている考えや情報を整理して、つなぎ合わせる接着剤のようなものになる。


「質問」を考える、という行為は実は人間にとってすごく大切なんじゃないかな。

「なんかわからんことあったら聞いてや!」ってすごく面白い表現やと思う。本来これが伝えたい事は「なんかわからんことあったら質問してや!」なのに。 実は、「聞く」には『尋ねる、問う』っていう意味もある。「聞く」と「問う」は同じで、対話の中では常にセットや。

勉強はあくまでもやりたいことを実現するための道具にすぎないわけやから、道具に興味を持つっていうのは難しい話や。 だからいろんなことを経験させて、やりたいことを見つけて、どうやったらその仕事ができるかを生徒が自問自答できるようにせなあかん。

そのために今日もいっぱい質問しよー!!

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